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2010年06月10日

自己紹介(その11〜高校3年 1/2)

新人戦で選手層の薄さを露呈してしまった大聖寺高校陸上競技部は、
翌年の春に有望新人が入部することに期待せざるを得ない状況だった。
折しも、1975年シーズンは加賀市、小松市とも中学生のレベルは高かったが、
県立高校として「スカウト」は出来ない以上、「祈る」しかなかった。
 
[有望新人の入部〜春先の故障]
さて、1976年3月の県立高校入学試験の合格発表の日。
北陸放送テレビで流れる合格者氏名を見ながら、「これなら戦えるかな」と思った。
願わくは、私のように「運動不足」になっていなければいいが…とも。
実際、多数の有望選手が合格者に名を連ね、期待どおり入部してきた
中でも目立ったのは、400mで53秒台を記録していた芦城中のY田全中の三種競技Aで入賞していた錦城中のN田で、
この2名は即戦力として早速リレーにも起用することになった。

しかし、「これで新人戦よりかなり層が厚くなったな」と思ったのも束の間、春先に正課の体育の授業で肉離れを起こしてしまうふらふら
体育の教師に無理な柔軟体操をさせられたのが原因だった。
柔軟体操はいいのだが、開脚前屈で「もう無理」と言うのに、組んだ相手の生徒に「もっと強く押せ」と指示したからたまらない。
右のハムストリングが「プチッ」。
これを報告しに行ったときのN江先生は絶句してたね。
肉離れ自体は軽いものだったけど、1か月くらいは別メニュー調整。
今年はストライドを広げて400mハードルのハードル間の歩数を減らし、走り自体ももっと伸びやかにすることを自分自身のテーマにしていたんだけど、全てオジャン。
普通に走れるようになったのは県大会も近づいたころだったから、ハードル間の歩数は”以前のまま”で臨むしかなかった。
[県大会]
高校生活最後の県大会となった。
この時代の本校は、3年生になると少しでも対校得点を稼ぐべく出場制限一杯の個人3種目の出場が当然のような雰囲気だった。
それに加えて、短距離組はリレー種目があるから最大で計5種目となるわけだが、これが3年生の責任と受け止めていた。
私は、個人では400m/400mハードルに加え、2年ぶりに200mにも出場することにした。それにリレー2種目が加わって計5種目。
N島も新人戦で優勝した砲丸投/やり投に加えて円盤投にもエントリーしたし、H野は三段跳の他、走幅跳、100mそして4×100mR と言った具合。
新人では、N田は五種競技に加えて4×100mRの1走、Y田は400mに加えてマイルリレーの2走にそれぞれ起用した。

まず1日目は、400mハードル
当日は、ホームストレート側が2m前後の追い風が吹いていた。つまり、前半は向かい風ということである。
前年、ハードリングは下手でも走力があれば、ある程度の結果が出ることを私自身が実証してしまったものだから、例年より走力のある選手がエントリーしてきている印象だった。
中でも警戒すべきは400mの走力があり身長もある七尾高校のN田君。ハードラータイプで2年生ながら北陸大谷のT城君も侮れなかった。
果たして、決勝には予想どおりの顔が揃った。風は相変わらずだった。そして私は2レーン。
カーブが急でハードリングが難しいが、10台のハードルが、その時点での順位の目安になるから、ライバルとの差を測りながら走れるという点で2レーンは悪くない。私は1年生の時からこの種目を経験しているから、ハードルに気を取られずに瞬間的に目線を振って他の選手との差を測るということも出来るようになっていた。
私は、バックストレートの向かい風をきらい、前半自重して第4コーナーから上げて、10台目を越えたラスト40mで突き放す作戦
スタートすると、面白いように足が合う。
バックストレートにはいると、1レーンのY原君(星稜)が横に並んできたが、全く動じることはなかった。
「向かい風でこんなに飛ばしてどうすんの?」
バックストレートでは、ライバルと思っていた選手とは互角の感じだった。
200mを過ぎると、思った通り左側から聞こえていた足音は聞こえなくなり、N田君、T城君と私の3人の勝負となっていることがハッキリ分かってきた。
8台目を越えた第4コーナーのリレーゾーン付近から意識してペースを上げ、9台目のハードリングでは私が1歩リードした(下の写真)。
'76 県大会400mH
過去に10台目を引っ掛けて失格した経験から、リズムを崩さないように注意して問題の10台目も先頭でクリアすると、ラスト40mは私の独壇場だった
最後までリズムを崩さずに走ったから、疲れは全然無かった。2着となったT城君に対して10台目で1〜2歩だったリードを最後には 0秒9 の差にブッちぎって「グリコ」の絵のようにフィニッシュした手(チョキ)。N田君は3着だった。
記録は57秒2。は前年にF岡選手がマークした県高校記録には及ばないが、大会新記録だった。
ただ、フィニッシュ後の余力からして、ハードル間の歩数を減らすことが出来ていればもっと好記録が出せたとも思った。あの「肉離れ」が恨めしい。

2日目は、400mと4×100mR。日程も前年と同じく400mの予選−準決勝−決勝の合間に4×100mRの予選−決勝が入る形。
400mの予選、準決勝、4×100mRの予選は流しだった。
本気モードは、4×100mRの決勝から。
本校のオーダーは、N田−H野−”O”−私
新人のN田は、「スタートは苦手なんですけど」と言っていたが、私が「3走は”O”に限る」と主張したので、そのいうオーダーに落ち着いた。
これで新人戦よりは戦力アップしたが、2位となった昨年のこの大会と比べると走力的に厳しい感じであるうえ、前日の100m決勝の結果を見るとショートスプリントのレベルが向上していたので、少しでも対校得点を獲れれば(6位以上)御の字と思っていた。
4走の位置につくと、前日の100m決勝に出た選手が3人いた。なかなか手強いぞ…。
スタートすると、なかなかの接戦だ。小松工がトップで県工が続き、3位以下はあまり差がつかないまま各校の3走が水濠付近を通過してくる。なかでも1つ内側の加賀高と本校は4位くらいで並走してくる。加賀高の4走は、100mの決勝にも出ていた”あの”O谷君だ。しかし本校の3走”O”が頑張って加賀高をリードしてバトンを持ってくる。さあ、3年ぶりにO谷君との直接対決だ。走り出すと県工はすぐにかわせたが、外側では、これまた100mファイナリストである北陸大谷のT沢君が前にいるのに気がついた。
さらに後方からは100m優勝の寺井高のT島君が猛烈な勢いで刺してきてあっという間に抜いていった。
結局、小松工が逃げ切って優勝、T島君が追い上げた寺井が2着、北陸大谷、本校、加賀は、バトンを受けたときの順で雪崩れ込み、県工が4つ順位を下げて6着、金沢泉丘が7着、中島高がオーバーゾーンでDSQということになった。
本校としては、4着なら上出来と言えた。私としてもT島君にはぶち抜かれたものの、2人の100mファイナリストと互角に走れたことには満足できたし、おわってみれば本校としては前年のこの大会のタイムより良かった。
リレーとはいえ、O谷君に先着できたのも嬉しかったね。

次はいよいよ、2年連続優勝がかかる400m決勝
ローカルな石川県の大会でも「ディフェンディングチャンピオン」のプレッシャーというものはあるものだ。
2年生で優勝しておいて、3年生で負けたらカッコ悪すぎるでしょ?
しかし、そんなプレッシャーを感じている私を嘲笑うかのように、レーン順は、何と皮肉な巡り合わせだろう、今回は私が8レーンがく〜(落胆した顔)となってしまった。
小松高校のM本君が2年生の秋で陸上をやめた後、最も…というより唯一警戒すべき七尾高校のN田君は6レーンあたりの絶好のレーンだ。うわー、まずいなぁ…。
スタートすると、他の選手の状況が見えない私は、思い切ってペースを上げられず、conservativeな走りになってしまった。バックストレートの中ほどで、同僚から「リードされてるぞ」と声がかかったが、急にはペースを上げられない。
第4コーナーのリレーゾーン付近に来たとき、左目の視野の端にN田君が見えた。「ヤバイ、リードされてる」。直線に出ると2〜3mリードされていた。
私は「負けるわけにはいかないんだ」と必死にスパートする。幸い、前半ペースを上げなかった分、脚力は残っていた。一方、N田君はかなり「浮いて」いるように感じた。すると、差はみるみる縮まり380m地点あたりで一気にかわしてフィニッシュラインに飛び込んだ
余裕がなかった私は、ゴールテープ(”テープ”とは名ばかりで細い毛糸である)を手で払うことが出来ず、首に強く擦れて痛かった。
フィニッシュ後は、しばらく動けなかった。リズムの悪い走りをするとこうなる。所謂「ケツワレ」も凄かった。
結局、自力歩行できず長身のH野におんぶされてようやく本校のテントに引き上げた。
「2年連続優勝」を喜んだのは、そういう状況が収まってからである。

3日目は、200mと4×400mR(マイルリレー)。日程は、最初にマイルリレー予選があり、200mの予選、準決勝、決勝を行った後、大会最終種目としてマイルリレー決勝となっていた。
マイルリレーのオーダーは、”O”−Y田−T山−私
ショートスプリンターの”O”には、少しでも距離的に短く他の選手と接触せずに走れる1走が適任だろう。1年生ながら準エース格のY田を2走に使って好位置をキープしたい。中距離選手のT山には混戦での粘り強さを期待した。

マイルリレー予選は、3組2着+2。私はトップでバトンを受けて流していた。最後、「もういいかな」と思っていたら2チームが本気モードで追い上げてきて焦った。
2人に抜かれて3着になったら危ない。慌ててスピードアップしてトップでフィニッシュした。

200m予選。私としてはあまり意識していなかったが、形の上では400m/400mハードルと合わせた個人三冠がかかっていたことになる。
寺井高のT島君だったかが、プレッシャーをかけようというのか「オマエ、三冠狙ってるやろ」と言ってくる。
「まさか。200mなんか勝てるわけ無い。対校得点を少しでも稼ぎたいだけや」と返す私。
2年生の時は、個人種目では400mと400mハードルしか出ていなかった私は、2年ぶりに200mのスタートラインに立ってみると、他の選手がとんでもなく近いと感じた

とりあえず予選は簡単に1着となり、準決勝。同組にはT島君、O谷君がいた。よく覚えていないが4組2着のタイム取り無しだったように思う。
つまり2着に入らないとお終いで、かなり厳しい。しかもまた「8レーン」だよ…。
T島君にはかなわないと思っていたから、O谷君との勝負だ。8レーンだから何も考えずに飛ばすしか無かろう。
スタートすると、予定通り一目散に飛ばす飛ばす。直線に出るとT島君は先行しているが、O谷君からは僅かにリードを奪っていた。
そのままの差で直線を走りきり、3年前の加賀江沼中学大会を再現するように同タイムながらO谷君に競り勝った。決勝進出である。

200m決勝の前には軽いアクシデント。私は昼食を摂るタイミングを失してしまったため空腹で、貧血を起こして倒れるということがあった。
蜂蜜などを補給してなんとか回復したが、その後は、なんだか思考能力が減退してフワフワした気分で競技を続けることになる。
そういうなかで迎えた200m決勝は「7レーン」だった。いい加減、3〜6のレーンを走らせてもらえないものでしょうか?
8レーンには400m2位のN田君で、ここだけは立場が逆転したんだけど。
このレース、なんだか気分が乗ってこなかった。
集中しないままピストルが鳴ると、フワッとしたスタートになってしまい、そこをいきなりT島君がぶち抜いていくものだから、前半で戦意喪失。何がなんだかわからないちに200m走っちゃった感じで5着。タイムも酷かった。
ま、私の200mなんてこんなもの。とりあえず対校得点2点上積みでよしとせねば。

200m決勝が終わると、あまり間をおかずにマイルリレー決勝だ。
ここまで来ると、3日間分の疲労も重なって身体がまるで自分のものでないみたいな気がしてくるね。
ほとんど脊髄反射だけで動いているようだった。

スタートすると、2走がオープンレーンとなったところで400m2位のN田君をここで使ってきた七尾が先行し県工が追う展開で3位以下は団子状態。Y田はなんとか好位置をキープした。
3走にバトンが渡ると、中距離の強豪K内君をここに投入してきた県工が先頭を奪い、七尾が後退して先頭と3位集団の中間まで落ちてきた。
さあ、4走の出番。リレーゾーンに向かう私に本校女子のエースN本から声がかかった。女子のリレー(当時は4×100mRのみ)は、力がありながら予選でバトンミスを犯して決勝進出を逃していた。彼女らの分も頑張らねばと朦朧とした頭に気合いを入れ直す。
3走の集団が直線に入ってきた。「早く来い!こっちだ」と半ば怒声のような声を張り上げロープでも引っ張るようにT山を手招きする。T山も含め各校の3走とも必死の形相だった。
4走への引継ぎは県工−七尾−中島−本校の順。バトンを受けると、出足の位置取りで中島高校をかわして3位に浮上し前にいるのは七尾高校。
しかしここで「思考能力の減退」が影響する。3位に浮上して七尾のユニフォームが見えたとき、そこを走っているのが400m2位のN田君だと勘違いしてしまい、少し慎重になって後ろについてしまった。「あっ、N田は2走で走ってたじゃないか」と思い出したのは第2コーナーのリレーゾーンあたりだった。「しまった、こうしちゃおれん」と慌てて七尾を抜いて2位に上がり、バックストレートで県工を追い上げる。
走っているときの実感はなかったが、レースを撮影した8mmフィルム(父が撮影)を後で見ると、かなり差を縮めていたようだ。
コーナーを走りきってホームストレートに入った私は、まだ諦めず、抜きやすいように2レーンに出てスパートしようとした。
しかし、脚力は残っていなかった。中学生時代のように潰れてしまうことはなかったがスピードは上がらず、2位をキープして走りきるのがやっとだった。
最後は県工に 0秒7 遅れて2着だった。
県工のK内君には「ヒヤヒヤしたけど、最後、yujiriは疲れとったな」とズバリ言い当てられてしまったな。
身体もそうだが、頭も疲れてたね。

走り終えた私は、心身とも何も残っていない抜け殻のようだった。
「あしたのジョー」ではないが「真っ白」な状態とはこういうことなんだろう。

かくて、出場5種目全てで北信越大会出場権を得た私だが、それだけに、インターハイに向けた種目の取捨選択が難しくなった。
そして、その「種目の取捨選択」が、最後の最後に来て私の陸上競技や部活動に対する意識を大きく転換させる出来事にまで発展するとは、このとき夢にも思っていなかった。
(つづく)
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posted by Yujiri@Kaga at 07:57| Comment(2) | TrackBack(0) | Profile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大会前にケガをしたにもかかわらず、
リレーを含め5種目入賞とはさすがです!

 昨日のリレーメンバーミーティングでも話題に出ましたが、学校での体育の授業や遊んでいるときのケガがとても怖いですね。
 体育の授業もしっかりと頑張る必要がありますし、子供ですから遊ぶことも必要ですが、
子供達には日常生活全般でそのようなことがないようにしてもらいたいものです。
Posted by postman at 2010年06月10日 12:50
>postmanさん
昨日、リレーメンバーに対して話したことは、
この年の故障のことを念頭に置いたものです。

そのほか、1年生の時に目の当たりにしたバトンミス、そして私が新人戦で犯したバトンミス、それに、この年の女子チームのことなども含め、在学中には直接的または間接的に本校はバトンミスが多かったですから、
その時に、いかに無念かということを伝えたかったのと、その可能性をできる限り低くすることには練習で精度を上げていくしかないということも伝えたかったわけです。
Posted by Yujiri at 2010年06月10日 13:26
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