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2010年06月06日

自己紹介(その10〜高校2年 3/3)

国立競技場で開かれたインターハイが終わり、3年生の人達が引退。
これからは、自分たちが1年生を引っ張っていく立場となることになるわけだが、
この年に入部した1年生の人数が少なく、部の選手層は一気に薄くなってしまっていた。
このため、新人戦ではリレーや対校得点争いで苦しい戦いを強いられることになった。
 
[国体予選]
新人戦の前、8月中に「国体予選」が行われた。
前年までは、特に「予選」と銘打った大会はなかったが、この年から国体のシステムが変わり、各県は必ず「予選」を実施したうえで選手を派遣しなければならなくなったのである。
高校生相当の年齢区分を「少年A」「少年B」などとして、何か悪いことでもしたような言い方になったのはこのときからだ
高校2−3年生相当の少年Aには400mの種目があった(400mハードルは無し)ので、私はそれにエントリーした。
しかし、ライバルだった本校の先輩は引退し、中島高校のY選手は100m、北陸大谷のF岡選手は110mハードルにエントリーしていたから、私としては、気が抜けるような大会となってしまった。
決勝は、こんどは1レーンバッド(下向き矢印)。たまには真ん中のレーンを走らせてくれよとぼやきたくなるなぁ。
晴天だったから、ぬかるむようなことはないが、夏の間、雨が降ったりカンカン照りだったりを繰り返した結果、1レーンはデコボコ状態。2度ほど足を取られそうになった結果が1位とは言え記録は52秒9と最悪だった。
でも、1位なんだから国体には出られるんだろうと思っていたんだが、選考結果は「落選」ふらふら
まあ、国体予選の内容が悪かったから仕方ないかとも思ったけど、選ばれた顔ぶれを見ると少し腑に落ちなかった。
他の種目の選手の中には、レベル的には私と五十歩百歩の感じの人もいるように感じて、なんだか、割り切れない気持ちだけが残った
「こんなスッキリしない選考じゃあ、来年、もし選ばれても出たくないな」と思った。
それに国体は秋。3年生ならば受験勉強の季節だしね。
しかし、選ばれておいて断るというのも角が立つなぁ…(今まで角を立てまくっておきながらガラでもない)
そうだ、国体予選に出なければ、選ばれるもヘッタクレもなく選考対象外になるわけだから、国体予選に出なきゃいいんだよね。
[新人戦]
9月にはいると新人戦。
今年も会場は七尾城山競技場、本校の宿舎も例の「お寺」だった。
私は400m、400mハードルの個人2種目とリレー2種目の、フル出場だった。

天候は曇りだったが、前日の雨でトラックは泥濘状態。「1レーンを引いたらご愁傷様」の状況だった。
私の日程を先に述べると、
1日目=400mH予選−400mH決勝−400m予選−4×100mR予選−400m準決−4×400mR予選
2日目=400m決勝−4×100mR決勝−4×400mR決勝

1日目は結構しんどいね。400mが5本…ふらふら
ただ、新人大会なら流せるところも多いだろうし、トラックの状態が悪くて好記録が望めない以上、決勝でも流せたら流そうと思った。

400mハードルは予定通りだった。
ハードルを引っ掛けないことと、踏み切りや着地で足を取られないことだけを気をつけて、最終ハードルを越えた後だけ全速で走って優勝できた。
ブログでは割愛したがインターハイの前の7月の県選手権では58秒台の自己ベストを出していたから、条件が良ければ記録を狙いたかったんだけど、自然条件には勝てない。

400m予選も当然のように流し。

本気モードにスイッチが入ったのは、4×100mR予選からだった。
3年生が抜け、ただでさえ男子短距離陣が手薄なのに、夏には1年生が1人退部してますます苦しくなっていた。
何とかやりくりしてオーダーを組むが、やはり力不足。4走としてリレーゾーンで待っていると、春とは全然違う光景に焦る私。実際にバトンを受けたときにはブービーの7番手だった。
しかし、半ばヤケクソ気味に走り出すと、身体が非常に軽く感じられて調子がいい。結局「6人抜き」を演じて1着でフィニッシュし、その瞬間だけは気分が良かったが、混戦だったこととその組のレベルが低かっただけだろう。詳しく覚えていないがタイムも見られたものじゃなかったはずだ。

さらに問題は、4×400mR(マイルリレー)予選だった。
3年生が抜けると、マイルリレーはおろか個人の400mや400mハードルを含めても試合で「400m」を走った経験がある者は部内で私以外にいなくなっていた。
1走には、ショートスプリントの”O”を無理矢理走らせ、2走にはインターハイに帯同したT山、3走には、長距離のK畑を起用して、私が最後にひっくり返すことにするしかなかった。
スタートすると、やはりなかなか順位が上がらない。
3走がレーンにはいると、これは各校ともそうなんだがマイルリレー未経験者が多いために、フィニッシュライン上に立っていたり、オープンレーンなのにお行儀良く1レーンに1人ずつ入ったりする(当時は、8レーン一杯にリレーゾーンのラインが引かれていたことも一因)ので、私がトラックの外からK畑に指示を飛ばす。
「ゾーンはここからだ」「オープンだからレーンに関係なく内側に詰めていけ」と言うと、各校の3走が私の声を聞いてゾロゾロ動いた。

何で他校のコーチまでしなきゃならんのだ?
しかし、コーチはしてやっても、見返りに順位を譲ってもらえるわけもなく、最下位かブービーでバトンを受けて、何人かは抜いたが予選通過ラインは遠かった。

2日目は400m決勝と4×100mR決勝
大会前日の雨でトラックは軟弱になってはいたが1日目の競技中は雨が降らなかったから、
2日目は大丈夫かと思いきや、夜中に雨が降ったようで、またしてもインレーンは泥んこだった。

400m決勝では、私は3レーン。1〜2レーンは「ご愁傷様」状態だったが、3レーンはギリギリ走れそうだったのは幸運だった。
雨の日の軟弱なトラックには悪いイメージはない私だが、それはマイルリレーの3-4走のように全員同じ条件での話。
レーンによって走りやすい条件の選手がいるとなると話は別だ。
ライバルは、前年大会で本校の先輩2人に次いで3位に入っていた小松高校のM本君だった。
ある事情がなかったら-----つまり、私が周囲の意見に耳を貸さない偏屈者でなかったら-----部の同僚として競技していたかも知れない彼は加賀市内の片山津中出身で、前々から親しかった。前年の新人で、私が400mに出られないところで3位に入られたのは悔しかったけどね。
レースでは、ライバルはM本君だけと見た私は、外のレーンにいた彼との差を測りながら並走して直線で離すという県大会と同じ作戦をとり、それが成功して私が優勝した。
記録は53秒0と酷いものだったが、この条件ではハナッから記録は度外視で勝てばOKだ。
フィニッシュ後、駆け寄ってきて握手を求め私の優勝を称えてくれたM本君だが、彼はこの大会を最後に競技生活を終えることとなる
受験勉強専念ということだったようだが、やはり加賀市からの通学では両立は厳しいのかな…と思った。
(ん?だとすると、高校受験のときに私が捏ねた屁理屈も、案外当たっているかも?)
なお、彼とは、この十数年後、ビジネスの世界で再会して協力し合う関係となる

この大会、私としての最後は4×100mR決勝だったが、私は10mほど走っただけで終わってしまった。
私が差し出した手にバトンが触れた瞬間にインレーンのチームと接触したような感じでバトンが2つ内側のレーンまで飛んでしまったのである。
そういう場合は、他のチームの妨害にならず、近道をしなければバトンを拾ってきてレースを続行してもよいのだが、当時は、そういうルールを知らず、バトンが2つも内側のレーンに入ってしまった以上、ラインを踏み越さないと拾えないからレース続行は不可能と思って諦めてしまった。
当時は、7着以下には対校得点が与えられなかったからその面での影響はなかったんだけど。

かくして、この年の新人大会は終わった。
本校は、男子では、私が2種目(400m/400mH)、N島が2種目(砲丸投/やり投)、H野が1種目(三段跳)の計5種目に優勝し、対校得点で計30得点(=6点×5種目)を稼いだのはよいが、2位〜6位の入賞はゼロという歪な結果となってしまった。

層の薄さが露呈したわけで、対校得点争いで上位を目指すには、現有部員の競技力向上もさることながら、それには限界もあるし、リレーを組むのに四苦八苦するなど人数がそもそも足りない。
こうなると、来年、有望新人が多数入部することに期待をかけるしかないが、そこは県立高校。事前の勧誘行為はできない以上、祈るしかない状況だった。
(つづく)
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posted by Yujiri@Kaga at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | Profile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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