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2010年05月20日

自己紹介(その5〜高校進学)

中学での競技生活を終えた私は、高校でも競技を続けることにしていた。
高校受験も、その志望校選択の基準は、2学年上の、ある優秀な選手とともに陸上をすること
ただそれだけだった。
苦労したのは、入試そのものより、私の志望校選択について周囲を説き伏せることだった。
 
[高校受験]
私が唯一の(?)志望校選択の基準とした「E選手」は混成競技(当時は五種)の選手だったが、五種競技の実施種目以外も含めて短距離、跳躍部門のほとんどの種目で県ランキングの上位に入っている人だった。
実際には、顔も知らなかったし競技の様子も見たことはなかったが、せっかく同じ学区内の高校に在籍していて、私より2学年上ということで、同じ高校に入れば1年間は一緒に陸上ができるのだから、こういう人と一緒に陸上をするチャンスは絶対に逃したくなかったのだ。
そしてそのE選手が在学するのは大聖寺高校だったから、進学先はそこしかありえなかった

至極単純明快に志望校を決めた私だが、しかし周囲の意見はそうではなかった。
志望校を決定する「三者面談」を迎えた日には、担任のN先生も母親も行き先は小松高校と決めてかかっていたからだ。
確かに、「模擬試験」の成績データを見る限り、合格に問題はなかった。
しかし、「E選手と一緒に陸上をする」という念願を叶えたい私にとっては大問題だった。
その形勢をひっくり返すには、かなりの「力技」が必要になってくるが、事前にその雲行きを察していた私は、知恵を絞って事前に用意した勝手な論理を並べ立てるという”暴挙”(「愚挙」かな?)に出た。
曰わく「高校でも陸上は続ける。ならば通学に時間のかかる小松では家での学習時間が減る。つまり大学受験に不利だ」
さらに曰わく「小松高校に入っても急に頭がよくなる訳じゃない。勉強するのは自分だから高校は何処でも同じだ」etc...
しかしもちろん、これらは「大聖寺高校」という既定の結論に強引に持っていくための牽強付会な詭弁であることは言うまでもない。
仮にE選手が小松高校で活躍されていたならば、「通学時間」もヘッタクレもなく、小松高校へ行っていたに決まってるんだから。
今にして思えば、こんな稚拙なガキの詭弁にN先生が惑わされたとは思えないが、まあ陸上にかける Passion を酌んでくれたのだろう。
めでたく(?)大聖寺高校を受験する運びとなった私は、無事合格してE選手…いやE先輩と陸上をやれることとなったのである。
山代中で、なにかと陸上を指導していただいたT本先生も、私が大聖寺高校に行くことになったと報告すると「Eと一緒にするんやな。がんばれや」と言ってくれた。
結果的には、競技についてはもちろん、大学受験という点においても、この志望校の選択は間違っていなかったと今でも思っている。
[オールスター軍団]
1974年春、大聖寺高校に入学すると…いや、正確には合格発表の直後に陸上部のマネージャーから電話がかかってきて3月中から練習に参加して欲しいという。もちろん、待ってましたとばかりに参加した。
練習に行ってみると、いかつい顔をした巨漢がいる。上級生かうっかりするとOBの大学生かと勘違いしそうな風貌のその男はどこかで見た顔だった-----放送陸上の砲丸投で全国入賞した御幸中のN島(現翠星高監督)である。
かと思うと、見た目は普通の(今風にいえば)JKといった感じのポニーテールもいた。彼女が走幅跳で(その後10年以上破られない)県中新を叩き出した芦城中のN本だとは、N島に教えられるまで気がつかなかった。
一見して専門種目が分かるスラッとした8頭身は加賀地区中学新人で女子走高跳に優勝していたY岡であるが、彼女はわざわざ小松より遠い根上町(当時)からやって来ていた(私の「通学時間理論」からすれば、とんでもない話だな)
私と同じ山代中からも、加賀地区新人大会総合優勝時のメンバーが入部するなどしていた。
当時は、県立高校合格者の氏名がTVや新聞で報道されていたので、N島やN本やY岡が大聖寺高校に来ることは事前に分かってはいたが、現実に顔合わせをしてみると、改めて、よくもこれだけ揃ったなというのが実感だった。ただひとつ残念だったのは、一緒に陸上ができるかと期待していた山中のO谷君が市内の他校に進んだことだった。
上級生には当然E先輩の顔が見える。そして私の1年上がまた多士済々。
芦城中時代に400mで県1位にして4×200mR放送陸上全国6位のメンバーだったN村さん、そして山代中野球部のエースから三段跳選手に転じて実績を挙げていたT島さん、女子では錦城中時代に県中学の走高跳で優勝していたU木さんというふうで、
当時の大聖寺高校陸上競技部は、さながら、南加賀地区のオールスター軍団だった。
このとき私は、「こんな部では、相当突っ張らないとやっていけないな」と思ったが、念願叶ってE先輩とともに陸上ができるということとも相俟って、身震いがするほどモチベーションが高まったこともまた確かである。

部の練習は、かなり自由な雰囲気だった。
アップから流し、加速、SDあたりまでは合同だが、その後の練習はフリーが基本だった。
言い換えれば、手を抜いたりサボったりしてもあまり怒られない環境ともなるが、「オールスター軍団」の中にいるとサボろうという気持ちにはならなかったし、他の部員も同じだっただろう。
そう、みんな「突っ張って」いたんだな。

種目練習のメニューについては、それを自分で組み立てられる者は自分の思うとおりにやっていた。
さながら「俺(わたし)の練習はこうだ!」と自己主張し合ってるようにも思えた。
このように書くと、部としての一体感を欠いているように思われるかも知れないが、実際のところは、部としてのまとまりは他校に比べてもある方だったと思う。
その辺のコントロールができる人間が多いのも、この部のいいところなんだ。
そういう環境の中、日常的に細かいアドバイスをくれたはE先輩である。
jogのときの重心の移動から、スプリントでの接地の仕方、ハードリング等々、自ら手本を示し理論的説明を加えて教えてくれた。
これだけで、この高校、この部に入ってよかったと感じた。
実際のところ、私にとってのE先輩は同じ部の先輩というより「恩師」という感覚が強い
現在、ジュニアを指導している私だが、その中身はE先輩から受けた指導の「ウケウリ」の部分も少なくない。
(つづく)
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posted by Yujiri@Kaga at 08:17| Comment(2) | TrackBack(0) | Profile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして、沖縄からお便りしています。HIGH-JUMPのヤシチェンコから繋がりました。私も、昔('73頃)陸上をしていました。懐かしい名前が色々でてきて嬉しいです。ところで、大学では彼の「惜別の唄」を歌われていたのですか。
Posted by 阿波連 at 2012年02月18日 19:04
>阿波連さん
コメントありがとうございます。

'73年だと、私は中学生ですから、
私より若干年上の方とお見受けいたします。

「ヤシチェンコ」で検索されたとのことですが、
さすがに同選手の名前が出ているページは少ないと見えて、
私も試しに検索してみましたら、このブログが最初の方にインデックスされていましたね。

「惜別の歌」は、ゼミの飲み会があると必ず最後はその歌を合唱して締めていました。
とは言っても、歌詞はあまり覚えていないんですが(苦笑)

懐かしい話題、大歓迎です。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by Yujiri at 2012年02月19日 09:06
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