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2010年05月13日

自己紹介(その3〜中学2年生)

「運命の日」に走りに目覚めた私は、中学2年になって正式に陸上競技の世界にデビューする。
県大会の厚い壁に跳ね返されながらも、陸上へのPassionは強まるばかりである一方で、野球からは心が離れていった。
 
[中学2年の春]
「運命の日」以来、周囲から「俊足」などと言われるようになった私は、中学2年になって、再び「校内陸上競技大会」を迎える。
小学校以来、この種の学校行事が待ち遠しかったのはこれが初めてだった。
そして予定通り(?) 100m/200mで優勝手(チョキ)した。
一部が砂地で小石も混じる土の運動場(200mトラック)を裸足で走るというワイルドな(?)ルールの中、タイムは13秒0/27秒8だったと記憶している。
400mなんて苦しいだけの種目に回されずに済んだのも嬉しかったねえ。
当時、陸上競技部の無かった山代中では、校内陸上の結果をもとに色んな部から選手を選抜して加賀江沼(当時)中学校陸上競技大会に臨んでいたのだが、私も選抜されて低学年100mに出場し2位となった。
因みに1位は山中のO谷君---これがとにかく速い人で、上級生の部の優勝タイムを上回る好記録を叩き出すんだからかなわない。
結局、彼には高校時代も含めて100mでは一度も勝てずに終わることになるのだが、彼の存在が私をロングスプリントに向かわせることになる。
ともあれ、加賀江沼大会で2位となったことで、私は石川県大会の低学年100m種目に出場することになったうえ、4×200mリレー(ちなみに4走は野球部のT先輩)にも山代中の1走として出場することになった。
いやー、変われば変わるもんだ。
つい2年前までは、クラス対抗リレーの選手にさえ縁遠かったのに、学校代表であり且つ加賀市の代表として3年生に混じってリレーを走るってんだから、世の中分かりません。

それはそれで晴れがましいことだったのだが、
私にとって初めての公認400mトラックとなった七尾城山陸上競技場では、100m、リレーともあえなく予選落ち。
県大会となると、みんなイヤハヤ速いわ。
大学や実業団ならともかく、中学生がこんなに速く走れるものなのかと驚いた。
速くなった速くなったと浮かれていた気分は何処かに吹っ飛び、自らの「井の中の蛙」ぶりに愕然とする。

一方、在籍する野球部では2年生になっても春の段階ではレギュラーを獲得できず、なおかつチーム自体も低迷。
県の壁には跳ね返されたとはいえ、陸上においては「加賀市代表」になった自分が何故「球拾い」をしていなきゃならんのかとストレスを感じるようになったのもこの時期だ。
今にして思えば傲岸不遜な心情だったと言えるのかも知れないが、中学生の心情とはそんなものではないだろうか。
ともあれ徐々に心は野球から離れていき、一方では陸上雑誌を定期購読して「陸上部がないなら自分で練習法を研究しよう」などと身の程知らずなことを始めたりもした

そして、秋の「新人戦」シーズンを迎える。
[中学2年の秋]
新人戦の季節となると、元々あった捕球技術と強肩に加えて「足」が使えるようになったということで、野球部でも「1番 センター」のレギュラーとなったが、あまり野球へのモチベーションは上がってこなかった
なんせチームが弱かったからね。もちろん、レギュラーだった自分にも責任の一端はあるんだけど…。

そんなところへ、バレーボール部の顧問ながら実は陸上が専門だったT本先生から「加賀地区中学新人陸上」に出でみないかと誘われる。
野球が面白くなくなってきていた私には渡りに船だった。
例によって寄せ集めの集団となるが、山代中は男子6人、女子4人(だったかな)の陣容で参加することとなる。
本来の所属部の内訳は、男子は野球、バレー、バスケが仲良く2人ずつ。女子については詳しく覚えていないが、短距離に出場したAさんなどは運動部ですらなく吹奏楽部の人だった-----とは言っても、小学生時代は連合運動会のリレーで学校代表選手だった人なんだけど

会場は、津幡中学校だった。
中学校のグラウンドと言っても侮るなかれ、アンツーカーのレンガ色も鮮やかな新設のトラックであった。
ただし、1周は250mという変則で、種目ごとにフィニッシュ地点が違うという難解な設計であったが、新設だけあって、同じアンツーカートラックの金沢市営陸上競技場より足の感触は格段によかった。
(内容は割愛したが、私はその年の7月に金沢市営陸上競技場で開かれた放送陸上石川大会に参加している)
私は、加賀市でも勝てない100mに出ても仕方ないから、200mに出場した。
そして、そこでなんと優勝してしまう。手(チョキ)記録は25秒台前半だっただろうか。

ちなみに、私を200mに追いやった(?)山中のO谷君は100mで2位だった。
速い人が100mに集まったから…とも言えそうだが優勝は優勝。市外の大会での優勝なんてこれが初めてだったから嬉しい。
さらに驚くべきことに、その山代中の寄せ集め軍団は、このほかに長距離の2000mでも優勝、100mHは2位、走幅跳は6位、4×200mRは3位と着実にポイントを稼いで男子の総合優勝をカッさらってしまったのだ。わーい(嬉しい顔)
ランニングシャツこそ揃えてはいたが、ランパンは各自バラバラ、トレーニングウェアもテンデンバラバラの軍団が、揃いのジャージを身にまとい一大軍団をなして我が物顔でウォーミングアップなどをし、競技中は「集団応援」を繰り広げて威勢だけはよかった数ある大所帯の陸上部を全部まとめて一蹴したのだから痛快の極みだった。

こうなると「もう野球なんかどうでもイイや」となってきて、野球部は退部する。
そして「連珠クラブ」(早い話が「五目並べ」ですな)に籍を置きながら、「陸マガ」などを読みあさって得た練習法を実践するなどして少数の仲間と陸上に専念し、最終学年を迎えることとなる。
ちなみに連珠クラブの先生は、偶々だが学生時代に陸上の経験があったので、私の「便宜置籍」には寛大であったのは幸運だった。
(つづく)
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posted by Yujiri@Kaga at 07:48| Comment(2) | TrackBack(0) | Profile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
毎回yujiriさんの自己紹介を楽しみに読ませていただいています。
はだしで走ったり、一周250mのトラックであったりと今では考えられないルールがあったことにびっくりしました。

 練習日誌に出てこられるE先輩は私にとっては高校時代の恩師です。
中学時代12.7がベストだった私を10秒台ランナーの仲間入りをさせてくれた方です。

E先生がyujiriさんの2つ上の先輩というのは知りませんでした。
自己紹介その4を楽しみにしています!
Posted by postman at 2010年05月13日 09:46
>postmanさん

裸足は、校内大会だけですよ。
加賀江沼大会は、いくらなんでもスパイクです。
会場は錦城中グラウンドでしたが。

E先輩については、「2年先輩」ということは言ってませんでしたっけ?

Eさんにつきましては、次回の自己紹介から登場するので、
詳しくは次回以降をお楽しみに。
Posted by Yujiri at 2010年05月13日 10:53
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